「イエスは誰のための救い主か」2017年2月19日

マタイによる福音書15章21−31節  私たちは神に祈りが聞かれないと思う時、神は冷淡だと思ってしまうかもしれません。しかし、私たちの思いの通りに答えてくださらないからと言って、神は私たちから遠く離れ、無関心なのではありません。この聖書箇所に登場する女性はイエスとの会話の中で、そのことを知りました。イエスという救い主が人生の歩みの中で神のみこころを必ずなしてくださるということを希望としながら、…

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2017年1月1日「闇に輝く神からの光」

マタイによる福音書2章13−23節  人間の力では到底乗り越えられない、その最たるものは肉体の死です。死に直面した時、そこには闇しかない、何の光も見出せないという思いにとらわれるかもしれません。しかし、そこにはクリスマスの光が注がれています。なぜなら、クリスマスに生まれた救い主は、この世で闇とも思える状況、絶望とも思える状況の中において神のわざをあらわし、肉体の死という人間の力では乗り越えられ…

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「さあ、目を上げて」2016年11月6日

創世記13章1−18節  同じような人間的な弱さを持っていたアブラムとロトですが、対照的な結果がもたらされます。二人の違いは何だったのでしょう。自分の欲で「目を上げ」たロトに対し、アブラムは神の呼びかけに応えて「目を上げ」ました。日々の歩みの中で、不安や恐れ、悲しみに陥る時にこそ、生きていく中で困難を感じる時、不足を感じる時にこそ、神の呼びかけに心を閉ざすのではなく、「さあ、目を上げて」と呼び…

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