「イエスはどこにいるのか」2018年1月7日

ルカによる福音書 2章41−52節  かつて人間は救い主がどこにいるか見出せず嘆きの中にありました。救い主が見つからず泣く存在でありました。しかし、今やわたしたちには、わたしたちと共にいる救い主がいます。時として現実の中で私たちがそのことを忘れ、救い主の姿を見失い、救いはどこにあるのかという思いにとらわれたとしても、その救い主はその姿を私たちに現してくださいます。私たちは神からの言葉であるとこ…

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「聖なる方は主のみ」2017年12月24日

サムエル記上 2章1−10節  状況の中での苦しみを喜びへと変えられ、泣き声を喜びの声へと変えられたハンナの身の上に神が起こされたのは、人間の目から予想もできない逆転のみわざであり、その神のみわざをハンナがほめたたえたとしてこの歌が記されています。そして、ハンナと同様に、神がもたらす逆転のみわざをほめたたえたのが、イエスの母マリアの賛歌です。さらに、救い主が生まれたことを最初に告げられ、救い主…

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「嘆きと悲しみが消え去る時」2017年12月3日

イザヤ書 51章4−11節  捕囚からの解放と祖国への帰還という政治的次元で挫折を経験し、自分の預言者としての役割に疑いを持ち、預言活動をやめ、沈黙してしまうほどに追い込まれた第二イザヤが、彼の最晩年に見出した救済・希望がキリストでありました。自分たちの罪の身代わりとなって罪を贖うキリストの姿を見出した第二イザヤは、失望が決して失望に終らないことを見出しました。私たちの嘆きと悲しみも嘆きと悲し…

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